偕楽園
1873(明治6)年、「常磐公園」として公園地指定。
1922(大正11)年、偕楽園、桜山、丸山が「常磐公園」として史跡及び名勝に指定。
1932(昭和7)年、県が名称を偕楽園公園とする。
1999(平成11)年、県は偕楽園公園に千波公園や周辺緑地を合わせて「偕楽園公園」構想を発表
偕楽園
1873(明治6)年、「常磐公園」として公園地指定。
1922(大正11)年、偕楽園、桜山、丸山が「常磐公園」として史跡及び名勝に指定。
1932(昭和7)年、県が名称を偕楽園公園とする。
1999(平成11)年、県は偕楽園公園に千波公園や周辺緑地を合わせて「偕楽園公園」構想を発表
水戸藩9代藩主 徳川斉昭
1842(天保12)年7月
1843(天保13)年7月 偕楽園という名称で開園。その前後に一応の完成を見たと考えられる。
城との距離:3Km
※回遊性
表門から入り暗(陰)の景色から明(陽)に変化させる。
千波湖と桜川を船で辿り南門から入り、見晴らし広場、好文亭に至る。
※借 景
対面する桜山と丸山をはじめとする丘陵、その遠方の山々、眼下に広がる水田と千波湖等が借景となる。
※水の利用
園内の崖の湧水を吐玉泉と玉龍泉(噴水様)から噴出される。
※御茶屋
好文亭内に茶室「何陋庵」があり亭外の待合露地からも利用できる。廊下で繋がる奥御殿には藩主家族が滞在できる。
※饗応の場として
好文亭全体が各種の饗応に利用できるが、賓客は3階楽寿楼で饗応。
※領民への公開
家臣と神職に公開するのが原則。「偕楽園記」碑裏面には利用規定がある。
※能舞台(座敷)
存在しない
※田 畑
庭園内には無いが、庭園の一部である桜山、丸山をめぐる回遊路の一部には水田があった。
※武芸の場
武芸の場は無いが作詞やくつろぐ場所があった。
作庭者斉昭公自室の「偕楽園記」に前年に仮会館した藩校「弘道館」と「一張一弛」の関係にあることが述べられている。弘道館で学び偕楽園でくつろぐのである。
類似点:藩主が作庭した。
相違点:斉昭公の改革の一環として藩校と対で作られ、斉昭公の思想が貫かれていること。幕末に初めて作庭され、公園の性格が強いこと。
※一言で庭園の特徴を言うなら
自然を生かした世界第2位の広さを誇る都市公園
※ここは見逃せない!という点
四季折々の花や樹木で造園されていて早春には約100品種、3,000本の梅の花が咲き誇る梅の名所。杉林、孟宗竹の竹林、桜やツツジ、荻が美しい。
茨城県土木部公園街路課
廃藩置県の際、他の藩有資産とともに国に移管。1873(明治6)年太政官布告第16号により公園地に指定、管理は茨城県(明治25年~大正8年は水戸市の管理)。
(「第11回 大名庭園サミット岡山大会 資料」より)
偕楽園公園を愛する市民の会
平成 18 年 3月 19 日
300 名(男 160名 女 140名)
会 長 湊 正雄
副会長 大槻功、仲田光子、根岸孝雄、吉澤敦、浅川きよ、小貫正雄、鹿熊律子
理 事 14名
会 計 浅川きよ、久保田芳子
監 査 大貫重信、田中泰成
顧 問 和田祐之介ほか 8名
〒310-0845 水戸市吉沢町2-22 湊正雄方
電話 029-247-0438 FAX 029-247-0438
e-mail:masao-minato@ann.hi-ho.ne.jp
URL http://www.kairaku-en.jp/
偕楽園の自然と歴史を学び、風致と梅を守り、後世に伝えると共に新しい魅力を創出すること
〇シンポジウム「偕楽園公園を更に充実した都市公園にしよう」 の主張と提案
○「偕に楽しむ集い」の開催計画。
○偕楽園公園魅力再発見ウオークの開催
○偕楽園公園魅力再発見<水辺・湧水・そして水都> 展示&イベントの開催(8団体共)
○偕楽園公園花づくりパートナー活動への参加
○弘道館・親と子の論語塾の開講推進
○ホームページを刷新して内容充実化
○偕楽園公園で活動する他の団体・組織と連携した偕楽園公園魅力向上活動
○大名庭園民間交流協議会への参加
○世界遺産への登録推進
年に2回