会津松平氏庭園 御薬園
会津松平氏庭園 御薬園の”お国自慢”報告書(一般財団法人 会津若松観光ビューロー)
名称
作成者
目黒浄定
築年開始年
1573(天正元)年~天正年間
利用の開始および一応の完成年
1573(天正元)年以降
庭園の所在地
・城との距離[1,500m]
庭園の特徴
※回遊性
歩いて楽しむ
※借 景
鶴ヶ城や御薬園、家老などだけが使用できた「慶山石」の石切り場跡が借景の一部として眺めることができます。
※水の利用
猪苗代湖からなる疎水によってうるおい、豊富な水量に恵まれています。
※御茶屋
大名家が滞在できる。
※饗応の場として
庭園中央に楽寿亭とよばれるお茶室があり、会談や密議が行われたことがあるが、饗応もあったのではないかと推測されます。
※領民への公開
事例あり。
※能舞台(座敷)
能を舞える座敷がある。
※田 畑
観耕台と呼ばれる豊穣を願う場があり、オタネニンジンの試稙を通じて御薬園が併設されています。
作庭の主な目的
歴代藩主の別荘地・安らぎの場として利用されてきた。
領国に庭園 城との関係
鶴ヶ城と墓所の中間地点に庭園が存在するのは偶然ではなく、泉湧くこの地を選択している。
全国の大名庭園との類似点と相違点
類似点:小規模ながら池泉回遊式の形式こそ大名庭園最大の類似点と思われる。
相違点:敷地の相当な面積を薬草園としているところが大きなポイントです。
現在のポイント
※一言で庭園の特徴を言うなら
日本3大薬草園の一角を担っていると自負しております。
※ここは見逃せない!という点
1.冬期雪に閉ざされた植物達が春を迎えると一斉に花と緑を纕う庭は北国ならでは。
2.庭園だけではなく薬草園が併設されていることから、四季の様々な野草の花などが楽しめる。
3.樹齢500年を超える大木が5種類ほど点在しており、庭園の歴史を肌で感じることができる。
現在の管理団体
一般財団法人 会津若松観光ビューロー
大名家から移管された年といきさつ
1870(明治3)年、戊辰戦争により新政府に没収、官有となる。
1872(明治5)年、会津の有志により御楽園を政府より買い戻し
1954(昭和29)年、財団法人 会津保松会が正式に管理団体として認可
1991(平成3)年、財団法人 会津若松市観光公社に移管(庭園売却のため)
観光写真で有名な一枚と特徴的な風景
御薬園
藩主の居間 御茶屋御殿
真冬の御茶屋御殿
(「第11回 大名庭園サミット岡山大会 資料」より)