水前寺成趣園

水前寺成趣園の”お国自慢”報告書(NPO法人 ふるさとの夢と文化を育てる会)

名称

水前寺成趣園

    

作成者

茶道役 萓野甚斉と2第目 古市宗庵

    

築年開始年

1665(寛文10)年

    

利用の開始および一応の完成年

1667(寛文12)年

    

庭園の所在地

・領国にある。
・城との距離[約3Km]

    

庭園の特徴

※回遊性

歩いて楽しむ。

    

※借 景

庭および園外の借景。

    

※水の利用

湧水を利用。

    

※御茶屋

酔月亭(現存しない)

    

※饗応の場として

不明

    

※領民への公開

不明

    

※能舞台(座敷)

1878(明治11)年に焼失、昭和に入り八代、松井家により再建された。

    

※田 畑

田畑らしき場はない。

    

※武芸の場

馬場・弓場はあった。

    

全国の大名庭園との類似点と相違点

類似点:池泉回遊式庭園として変化に富む園路を形成している。

相違点:東海道五十三次を模した設計は他の庭園が中国の景勝地を模した点と最も違いが表れている。 名石・名木を配した庭園ではないが、よく見ると隠れた趣向が諸所に感じられる庭園である。 特筆すべきことは庭園の池がすべて阿蘇の伏流水で賄われていることで、澄み切った水はそのまま口にしてもよい事である。

    

現在のポイント

※一言で庭園の特徴を言うなら

水の豊かさは熊本のシンボルであること。現在、熊本市の水道はすべて水前寺成趣園と同様の地下水によっている、 つまり風呂の水までが天然のミネラルウオーターであることが熊本市の最大の特徴の一つといえることであります。

    

※ここは見逃せない!という点

1.富士山を模した築山と芝生の連なり。
2.『日本橋』と亀石に泳ぐ鯉の群れ。
3.箱根八里までの園路と池の変化。

    

現在の管理団体

熊本市

    

大名家から移管された年といきさつ

1925(大正14)年に熊本市が出水神社から成趣園と周辺の用地を借り入れ、水前寺公園として市民に開放した。

    

観光写真で有名な一枚と特徴的な風景

  • 水前寺成趣園
    水前寺成趣園
  • 富士山を模した築山
    富士山を模した築山
  • 古今伝授の間
    古今伝授の間
  • 古今伝授の間からの眺め
    古今伝授の間からの眺め

(「第11回 大名庭園サミット岡山大会 資料」より)

水前寺成趣園の成り立ち

熊本市を代表する観光地の1つである水前寺成趣園は、寛永13年(1636)熊本藩 藩主 細川忠利の時、「国府の御茶屋」として設けられたのが始まりで、当初は茶庭と草庵風の茶室だけの簡素な庭園であったと云われている。

藩主 忠利は豊前の羅漢寺住職、玄宅和尚を迎えて一寺を建立して水前寺と名付け、茶庭、御茶屋も寺に所属させたもので「水前寺御茶屋」と呼ばれるようになった。

水前寺は寛文5年(1655)無住となったため、その後に藩有地に繰入れられた後、寛文10年(1665)藩主 細川綱利の命により、大規模な作庭が始められた。 作庭は茶道役 萱野甚斉と2代目古市草庵によって進められ、翌年現在と同じ規模の庭園が完成し、陶淵明の詩からとって「成趣園」と名付けられた。池辺の御茶屋「酔月亭」もこの時に出来た。藩主 綱利はここで「水前寺十景」を選んで楽しんだという。 庭園は周辺の風光を借景とし、東海道五十三次を模して造られた桃山様式の優美な回遊式庭園である。

御茶屋 酔月亭は明治10年(1877)の西南戦争で焼失し、富士山をかたどった築山も砲台となって荒廃したが、翌年には庭園の北側に出水神社が新設され国有地に編入されていた成趣園は神社境内地として下付された。大正元年(1912)酔月亭の焼け跡に京都御苑にあって細川家ゆかりの「古今伝授の間」が移築された。 同13年(1924)には熊本市市電が成趣園入口まで開通し、翌14年に熊本市が出水神社から成趣園と周辺の用地を借り受け、水前寺公園として市民に開放した。

熊本市は成趣園東側に動物園を開設したが、動物園は昭和44年(1969)に江津湖畔に移築し、熊本市動・植物公園となった。 動物園の跡地の市有地には日本赤十字発足の端緒となり、また多くの有無の人物を輩出して日本の近代化の礎ともなった「熊本洋学校教師館:ジェーンズ邸」を移築し、加えて夏目漱石の第3の家も移築して広く保存公開していたが、ジェーンズ邸は惜しくも平成28年(2016)の熊本地震によって倒壊してしまった。貴重な西洋館の復旧、債権が待たれている。

水前寺成趣園は昭和4年(1929)に国の名勝・史跡に指定され、熊本市が管理団体として維持管理を行い、無料公開を続けてきたが、昭和42年(1967)に出水神社に返還され、有料施設となって現在に至る。

園内を自生する川海苔は「水前寺海苔」と呼ばれ、将軍家献上品として珍重されてきたもので現在も天然記念物として保護されており、その水前寺海苔を育みながら庭園に噴出する豊かな清冽な湧水は他に例を見ない水の名園である。

古今伝授の間 の成り立ち

熊本市「水前寺成趣園」の中に立つ茅葺きの建物で熊本県指定重要文化財

国指定名勝及び史跡「水前寺成趣園」内の池に面して広く座敷を開放する茶室と付書院からなる平屋造りの建物。

この建物ははじめ京都御所内にあって後陽成天皇の弟、八条宮智仁親王の学問所であった。慶長5年(1600年)細川藤孝(幽斎)から古今和歌集の奥義を伝授されたことから「古今伝授の間」と呼ばれるようになった。

八条宮家よりこの建物を送られた細川家では当時の領地、山城国開田村 長岡天満宮の境内に移築し、江戸時代を通じ 長岡茶屋と呼んでいた。

明治4年(1871年)になって再び細川家の手にゆだねられることとなり、細川家ではこの建物を解体して保管していたが、大正元年(1912年)熊本に運び、水前寺御茶屋『酔月亭』の跡地に移築して復元した。

平面の構成は主室と次の間、その東側と西側に幅一間の座敷縁を設け、水屋などが付属している。主室は8畳、畳床と床脇に向切の炉を構えた台目畳が加わる。

また次の間も八畳で東側に付書院がある。このように座敷飾りを主室の畳床、次の間の付書院と分けているのもこの建物の特徴である。

主室の杉戸は可能永徳、奥の襖絵は海北友松の筆になると伝わっている。

水前寺成趣園の大名庭園民間交流協議会 構成団体の説明

名称

NPO法人 ふるさとの夢と文化を育てる会

設立年月

平成21年1月

会員数

約 30名

役員

理事長  帆足秀樹
副理事長 阿部信英
理事   田邉美徳・酒江修・加島裕士・栃原威寿
顧問   今村克彦
監事   園田伸二

所在地

〒861-8029 熊本市 東区 西原2丁目25-6
電話 096-284-3131 FAX 096-382-1348
e-mail:furuyume@live.jp

主な事業目的

地域の歴史と文化に根ざす伝統行事、民俗文化を継承・推進し、有形・無形の文化財の保護と活用を進め、且つ、新しい祭の開催やその他の事業を通じて、まちづくりの推進及び地域活動の活性化を図り、地域社会に貢献することを目的とする。

第10回大会後の主な活動

平成25年 伝統行事 『夜峰の歩射式』 復興
平成25年 伝統行事 『吉田 鎮火債』 復興
平成26年 同行事  継続催行
平成27年 熊本市新市街にて 夕暮れ市開催

平成28年 熊本地震 4月16日
夕暮れ市を「復興支援市」に凝替え12月まで開催した

平成29年 6月 大名庭園サミット熊本大会の準備委員会を立ち上げた。

会報発行状況

(未発行)

  • 水前寺成趣園
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  • 古今伝授の間
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