養浩館庭園(御泉水屋敷)
養浩館庭園の”お国自慢”報告書(養浩館庭園を守る会)
名称
作成者
不明 7代藩主松平吉品の頃、現在の姿に大改修
築年開始年
1688(元禄元)年から1704(元禄)年頃
利用の開始および一応の完成年
1656(明暦2)年頃から1945(昭和20)年
庭園の所在地
・城との距離[500m]
庭園の特徴
※回遊性
遺水と自然石の石橋から御月見ノ間を望む。
※借 景
庭の景色で完結。
※水の利用
芝原用水を取り入れる(飲料水として利用されている)
※御茶屋
うすの茶屋(現在は礎石のみ)。藩主に休憩所、そのはか饗応にも利用。
※饗応の場として
記録にはないが伝承はある。
※領民への公開
大名家の私的な庭園である。
※能舞台(座敷)
存在しない。
※田 畑
田畑らしき場はない。
※武芸の場
ない。
作庭の主な目的
『我善養吾浩然之気』(我善く吾が浩然の気を養う)から引用し、養浩館と命名のように藩主の安らぎの場としてつくられ、そのほか休憩所や訪問客のもてなしの場として利用。
領国に庭園 城との関係
城主が居住する本丸の背後(北側)にあり、藩主の安らぎに庭として活用。
全国の大名庭園との類似点と相違点
類似点:回遊式庭園
相違点:
現在のポイント
※一言で庭園の特徴を言うなら
「遺水」の手法。実用的な取水を美的な位置まで高めた他の庭園に類を見ない珍しい造園技法
※ここは見逃せない!という点
1.遺水と自然石の石橋から御月見ノ間を望む。御茶屋(御泉水屋敷)と樹木に挟まれた空間一杯に、小砂利が敷き詰められた浅瀬を清流がさらさらと流れ、川をまたぐ自然石の巨大な石橋(全国的にも最大級で長さ480m、幅90cm、厚さ52cm)の下を染み込むようにくぐって池に注ぐ。
池の岸辺を美的に処理する「州浜」と、水の流れを優雅に導く「遺水」の手法が見事に組み合わさっており、養浩館庭園の白眉の部分ともゆうべき景観。
ここから建物を見ると軒深く、のびやかな柿葺の屋根をもつ御月見ノ間・御座ノ間や築山など、日本庭園の美しさを感じることができる。
2.御座ノ間から池を望む。「発掘された礎石や縁石が生かされ」、「御月見ノ間の雲型や櫛形ノ間の華頭連窓を額縁として切り取る手法、遺水に映る月影をめでる月見椽など、名月や庭園鑑賞のため、庭園との一体感や調和した景観が、市井の我々も当時に藩主・大名の体験を感じることができる。
現在の管理団体
専門の庭師を委託し、樹木等の維持管理を進めている。
計画的に、柿葺や茅葺屋根の葺き替えを行っている。
隣接の福井市立郷土歴史博物館が日常管理を行っている。
市文化振興課が保存・整備を担当し、また御茶席や記念茶会等を設定している。
大名家から移管された年といきさつ
作庭者は不明であるが「御泉水指図」が遺され保存されてきたこと、復原の英断を下された当時の国や福井県。市関係各位の思いで、現在の養浩館庭園があることを忘れてはならない。 その意味では、現代の我々が養浩館庭園を活用しながら、日本文化の最たるところを学び、そして伝えていく努力が重要となる。
観光写真で有名な一枚と特徴的な風景
養浩館庭園
御座ノ間
御月見ノ間
櫛型ノ間
(「第11回 大名庭園サミット岡山大会 資料」より)